お題:斎場で即興記事

今回のお題:「斎場」時間:30分くらい


  琴吹紬は病院のベッドの中でぼんやりと天井を眺めていた。
ここに入院してからどれほどの時が経過しただろうか、兎にも角にもする事がない。この部屋にテレビなんてないし家族が持ってきてくれる雑誌や文庫本もどうにも自分の趣味とは合わなく読む気になれない。娯楽がないという事がここまで退屈だとは思わなかった。
 なので暇を潰す為に最近はこうして天井を眺め物思いにふける事が彼女の日課となっている。
 昨日は確か自宅にあるグランドピアノについて考えていた筈だ。家には自分以外ピアノを弾く人間がいない。きっとあのピアノは今頃埃を被っているのだろう、弾いてあげたい。

昨日の思考をなぞっていたら不意に琴吹紬の脳裏に放課後ティータイムの面々が蘇った。
当時は最高の親友だと思っていた彼女達の事なんて久しく思い出してなかったのに、やはり死期が近いと美しい記憶ばかり回想するものなんだな、と琴吹紬は真白な天井に向かって皮肉じみた笑みを向けた。
医者曰く骨髄腫らしい。担当医に延命治療を提案されたが琴吹紬はそれを拒否した。
 もう歳は八十に差し掛かったし今の年老いた自分の肉体では耐えられそうにない。それに充分すぎる程生きた、平凡だが幸せな人生を過ごせた。死ぬのも朽ちるのも構わないがお荷物にだけはなりたくない。
彼女は満たされたまま死にたいと考えていた。

 時計に目をやる、そろそろ娘家族達が見舞いにくる時間だ、孫達に元気なおばあちゃんを見せなければならないなと思いつつ震える手で乱れた病院服の襟元を直した。


琴吹紬は公営斎場の火葬場で琴吹紬だったものを眺めていた。
数ヶ月後の入院の後に、琴吹紬の命は失われた。
痛みや苦しみがなかった訳ではいがある程度まで病が進行してから終始夢の中にいるような感覚に包まれ気が付いたら朽ちた身体から魂が剥離していた。
  通夜では多くの人間が嗚咽をあげ、涙を流してくれ、自分はこんなにも満ちていたのかと嬉しい気持ちはあったが、
父・母・夫それに放課後ティータイム泣き叫ぶ自分の姿が彼女にも見られていたのかと思うと少々照れ臭かった。
  
琴吹紬だったものを観察する琴吹紬。手足の骨は死ぬ間際の痩せ細った姿からは想像できない程に太く健康そうだし母の骨上げの時に見たものと似通った大きさの頭蓋骨。それに骨髄腫に侵されていた脊椎に当たる部分だけが綺麗に炭化している。医者のオブラートに包んだ説明よりよっぽど分かり易い。

 職員が琴吹紬の一部を砕いた。娘が箸でそれを骨壷に収骨する。娘の目は連日連夜大泣きしたせいで腫れぼったく今も瞳が滲んでいる。琴吹紬がやれやれと言った様子で嘆息を一つ。だが彼女は大丈夫だろう。私の娘なのだからと、琴吹紬は呟いた。

「そろそろ行こうかな」
琴吹紬の魂が更に『上』へ浮遊した。彼女自身これから先何処へ向かうのか理解はしていない。だが彼女の心に恐怖はなかった。
空間に光が差し込んだ、それは彼女の視界を真白に染め上げーー
「おかえりムギちゃん!」
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(*画像は頂いたものを無許可で使用していますので問題があるようでしたら当記事は削除致します)