神の子vsラーメン二郎(後編)

本文が長くて途中で切られるようなので前後編にわけました。

前編はこちらから

突如、毛利の視界が闇に閉ざされた。
突然の出来事に狼狽えて左右に首を振り、周囲を身渡そうとするが何も見えない。文字通りの闇だ。
「ど、どうしたんですか!?」
心配する幸村の声、前方から聴こえる。
「い、いやなんでもない。俺が悪かった。食べや食べや」
声の上ずりをなんとか抑えた。幸村に心配を掛けたくはない。それに、例え目が見えなくともロティストとしてギルティだけは避けたい。
 「えっと」
手探りで箸を丼の中に潜らせ、引っかかった麺を引っ張り出し口内へ運ぶ毛利。
「これは」
なんの味も感じなかった。試しに咀嚼してみると味のないガムかゴムでも噛んでるかの様な不快な触覚が口内を支配し、不意に襲って来た気持ち悪さに思わず麺を丼に吐き出す毛利。
「なんや、これは」
今まで経験した事のない体験、動揺し持っていた箸を落とす。
ポチャ!丼に箸が沈む音。そして肩には添えられた手の感覚、間違いなく自分を心配する幸村の手だろう。
「毛利先輩!どうしたんですか!?」
幸村の叫び声、身体が揺すられる。幸村が何時も漂わす仄かなシャンプーの匂いも、ラーメンの濃厚な匂いも感じられない。
「うわああああ!!」
 視覚、味覚に次いで嗅覚も失われたという事実に気付き、冷静さを失い叫びをあげる毛利。立海のエースである彼の見る影はもはやない。

「おいなんだよこれ!」「見えねえ!」「オエーッ!」
 毛利の耳に残る、他の客達の動揺の声、床に吐瀉物が落ちたかのような音も聴こえる。
「これは一体…弦一郎、無事か」
柳の声、椅子を引く音。
「ああ無事だ!毛利先輩!」
真田の叫び声、足音、こちらに近づいて来る。
「毛利…  っ  さい…」
「一体、これは…   え…  」
「だ、だれか……    ぁ…」

ゆっくりと、しかし確実に聴力が失せて行き、そして震える毛利の体を支える幸村の手の感触が余熱のように消え去ってゆく…。
(これが幸村の)
 今彼の五感は完全に失われた…
五感を全て無くした今、毛利寿三郎は完全なる暗黒世界に囚われた。今彼にあるのは苦痛という感情だけだ。それ以外は何もない。
 そして脳は苦痛から逃れる為に、
(ロットバトルか)
 ーー意識を閉ざした。

ある者は気を失い、ある者は嘔吐し、そしてまたある者は発狂してある。目の前で繰り広げられる異常な光景に真田は恐怖を覚えた。だが真田はこの光景に見覚えがあった。それもテニスの試合でだ。
「幸村、お前まさか」「ああ、どうやらそうらしい…」
 椅子に座ったまま気を失いもたれかかってきた毛利の体をを優しく抱いた幸村。彼のその寂しげな横顔が今の彼の気持ちを代弁している。
「店主!」
出かかった言葉をぐっと飲み込み、狼狽える店主を捕まえ
「早く救急車を呼ばんかーっ!」
真田の叫びが地獄絵図と化した店内に響いた。

・   ・   ・

「それが部長の最初で最後のロットバトルって訳ですか。で、その後どうなったんスか?」
「ああ…毛利先輩や他の客は救急車で病院に運ばれて検査をされた。勿論異常はなかったので即日退院だったが」
立海大付属中学テニス部部室ーー
2年生の切原赤也は、部室内に備え付けられたベンチの上に胡座をかき、達人(マスター)柳の話に聴き入っていた。
「マジッスか!?」「ああ、だがその後に保健所や警察が店舗の調査にやって来て、営業停止は逃れたらしいが妙な噂が立ち客足が途絶え、閉店に追い込まれた」
「へ、へぇ…。そりゃ災難ッすね…」
ゾッとする赤也。
「でも何で毛利先輩や他の客は幸村部長に五感奪われちゃったんスか」
だが浮かんだ疑問を柳へぶつける。そして柳は、俺の考えだが、と念頭に付けて静かに語り始めた。
「精市は相手に何を撃っても打ち返されるイメージを植え付け脳を遮断させ相手の五感を奪うテニスをする。あの場に居た俺と弦一郎、そして精市以外の客は大なり小なりロットバトルの心得があった筈だ。勿論、毛利先輩もだ。だからこそペースを崩さずスープを飲み続ける精市に恐怖心を覚え、敵わないと感じた結果、五感を失ったのだろう。この理論ならば俺と弦一郎が無事だったのも頷ける」
「へ、へぇ。成る程」
彼には柳の話は些か難解だったらしく、話に合わせ相槌を打っているが頭の上に疑問符が浮かんでるのが柳には見えた。
「お前には少し難しかったようだな、赤也」
「要するに部長はやっぱバケモンって事すね」
「いや、もし精市が化け物だったらあんな事があっても足繁く二郎に通っている筈だ。あの件での1番の被害者は精市だと思う」
「え」赤也の間抜けな返事。
「精市は二郎の味を大層気に入っていたが、あれ以来、精市は毛利先輩の気持ちを考え二郎を絶っているのだからな。弦一郎に救われてはいるが」
「え、何でそこで副部長が出てくるんすか?」
柳がやれやれと嘆息を吐く。
「弦一郎は二郎に拒絶された幸村の代わりにあの日以来、人一倍二郎を食べ続けている」
「なんすかそれ!絶対あの人、二郎が好きなだけですって!」
「フッ、お前にはまだ見えてないようだな赤也」
柳が笑った。

不意に、部室の扉が勢いよく開いた。柳と赤也が視線を向けると開いた扉の前に真田が腕を組み立っていた。
「ゲェー!副部長!?」
「何をチンタラしている!早く二郎へ行くぞ!」
顔を顰め、両手をその眼前で振り露骨に嫌がる様子を見る赤也。
「副部長勘弁してくださいよ!俺今日は家系の気分なんすよ!」
「たわけが!家系などという軟弱な物を詰め込む余裕があるのなら二郎を食え!二郎を!」「あだあだ!」
真田が赤也の制服の襟首を掴んで無理やり立たせた。
「弦一郎」「どうした蓮二」
柳が、赤也の襟首を掴んだまま引きずり部室を後にしようとする真田を呼び止めた。真田も足を止める。
「今日は俺も付き合おう」
「お前から付いて来ると言い出すなんて珍しいな」
「なんだか今日はそんな気分でな。たまにはいいだろう」
「…面白い!この真田弦一郎、真っ向から叩き潰す!」
穏やかに笑う柳に皇帝じみた笑みを返す真田。
 やっぱ、この2人二郎食べたいだけなんじゃ…と内心突っ込みたい赤也だったが、今の彼には真田に引きずられながら母親に晩ご飯要らないってメールを送る事しかできなかった。